最高裁判所大法廷 昭和23年(れ)1382号 判決 1949年11月02日
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人大橋茹同島田武夫同鍛冶利一の各上告趣意はいずれも末尾添付別紙記載のとおりでありこれに対する当裁判所の判断は次の如くである。
弁護人大橋茹の上告趣意第一点について。
原判示のような動機で殺人をするというようなことも有り得ないものとはいえないから動機の点で原判決を実驗則に反する違法のものとすることはできない。そして右動機及び論旨にいう「心理的推移経過」を原審が被告人の自白及び警察官の供述によって認定したことにも何等違法はなく論旨は理由がない。
同第二点について。
原審は被告人の自白のみならず多くの証拠を綜合して判示事実を認定したのであって、自白と原審挙示の他の証拠とを綜合すれば原審認定の犯行事実を認定することが出来る。かかる場合犯人が被告人であることの証拠が自白のみであっても違憲違法ではない。論旨は採用し難い。
同第三点について。
被告人の妻であった証人橋本ふみ子は被告人が先丸の地下足袋を所有し室の入口に置いてあった旨を証言している。又被告人が十一時二、三〇分頃帰宅した旨の証拠もあり、なお被告人は犯行後非常線を張られることを恐れ大急ぎで走って帰ったといって居るのである。原審がこれ等の証拠を信じ、論旨に掲げる反対の証拠を信じなかったものとみれば、これ等の点に関する論旨は意味ないものになるであろう(佛壇のりんの音の点については鍛冶弁護人の上告趣意に対する説示参照)要するに論旨は原審の採用しなかった証拠等を基礎として原審の事実認定を攻撃するもので上告の理由とならない。
同第四点について。
所論証人の供述は原審これを証拠として採ってゐないのであるから右証人訊問の手続に所論のような欠陥があったとしても、それは原判決に影響ないものである。從って論旨は上告の理由とならない。
同第五点について。
所論「殺人事件取調状況について」と題する書面中論旨摘録の部分は原審これを証拠として採ってゐないものであるし又論旨摘録の証拠だけで被告人の自白が強要によったものと認定することはできない。其の他にも右事実を認めるに足る資料はないから論旨は採用できない。
弁護人島田武夫の上告趣意第一点について。
被告人が所論のような供述をしたことだけで直ちに自白が強要によったものと断定することはできない。其の他の所論のような事実で自白強要の事実を認定することができないことは勿論である。それ故右強要の事実を前提とする論旨は採用し難い。なお証拠調の限度を定めることは原審自由裁量の範囲に属するものであるから、所論のような文江の情事関係其の他の事実を原審が調べなかったことを攻撃する論旨は上告の理由とならない。
同第二点について。
論旨では(一)被告人は先丸の地下足袋を有してゐなかったというけれども、これを所有してゐたという有力な証拠もあること大橋弁護人の上告趣意第三点について記したとおりである。(二)被告人が被害者の寢てゐた室内を覗き見たという窓からは被害者の寢てゐた処は見えない筈だといい第二審の檢証調書を証拠に引いて居る。けれども右調書は原審これを証拠に採ってゐないのである。同じく原審が採ってゐない証拠を見るならば第一審の檢証調書には右窓から被害者の寢てゐた場所は十分見える旨の記載がある。そして第二審の調書よりは遥かに精密に、窓の内にある戸は硝子戸であり其の硝子の透明部分から室内が十分に見えることを硝子戸及び室の詳細図面迄添えて明瞭に説明してゐる。以上の如く被告人に有利な証拠もあれば反対に不利益な証拠もある。所論鑑定書記載の傷の如きも所論のように両人が争ったものとすれば無論その位の傷は生ずることがあるであろう。被告人の実行行為に関する供述は自己の記憶に存するその概略を述べたに過ぎない。殺人の如き場合両人闘争の有様を詳細に記憶して居るものもあるまいし又自供は其の記憶の全部を述べたものとも限らない。只犯行室内に足跡がなかったという点は相当考えさせられるところであるが、これとても原審の認定してゐない事実であるし此の一事で事細かに述べてゐる被告人の自白が総て警察官の誘導乃至強要によったものと認定することはできないのは勿論、事実審たる原審か採用してゐる自白を事実調をしない当審において採るべからざるものと断定し去ることは到底許されない。其の他論旨は非常に多岐に亘ってゐるけれども、結局原審の採用しなかった証拠等を基礎として原審の事実認定を攻撃するに帰着し上告適法の理由とならないものである。
同第三点は大橋弁護人の上告趣意第二点に対する説明で其の採用し得ないこと明であろう。
同第四点について。
論旨では昭和二三年七月二六日の原審第一回公判において所論の証人申請があったというのだけれども、同日の公判調書を見ると、吉田房治を除く他の所論証人については一々姓名を記して其の訊問の申請があった旨を記載してあるに拘らず、吉田房治の訊問申請があったことは書いてない。されば右房治に対する申請はなかったものと見るの外ないので、原審がこれに対して何らの決定をしなかったとしてもそれは当然で論旨は理由がない。
弁護人鍛冶利一の上告趣意第一点について。
所論の「殺人事件取調状況について」と題する書面は証人川村三郎に対する第一審の訊問調書の一部を為すものと認むべきである。蓋同調書の第八問答を見ると該書面は右証人が自己の証言を補充するために差出したもので裁判長がこれを同調書の末尾に添付する旨を告げたことがわかるばかりでなく、同調書と該書面との間には同調書作成者の契印が押してあるからである。そして右訊問調書については原審公判において適法に証拠調が為されているから論旨は理由がない。
同第二点について。
所論の如き事実は法律にいう「罪となるべき事実」ではないから原審は此の事実を証拠によって認定した理由を説明する必要はない。從って原審挙示の証拠で其の事実が認められなくても違法ではない。のみならず所論の事実の如きは犯罪の動機の中でも極めて軽微且間接の遠因に過ぎないから、かかる事実についてたとえ所論のような違法があったとしても判決に影響を及ぼすべきものとは到底考えられないから論旨は上告の理由とならない。
同第三点について。
所論被告人の自供は「佛壇のりんの音のようなもの」を聞いたというのであって甚だ不明瞭な感覚の供述であり、其の聞いたと思った音が果して佛壇のりんの音であったかどうかもわからない又証人の何時頃寢たと思うというような供述も正確なものと断定することはできない。時刻についての人の感覚は多くの場合相当不正確なものであり二、三十分ぐらいの誤をすることは間々あることだからである。そして論旨において引用する檢証調書によると映画館を出てから橋本家に到達する迄の歩行時間は所論の様に一時間三五分ではない。同調書に書いてある一時間三五分というのは映画館から橋本家迄の所要時間ではなく、被告人の住宅迄の時間である。映画館から橋本家迄の距離は右檢証調書の示すところによると被告人の住宅迄の距離の半分乃至其れ以下であって(大橋弁護人の上告趣意では橋本家迄の所要時間は四十三分といってゐる)時間にすれば論旨のいうところとは四、五十分の差がある筈である。それ故被告人の自白は時間的に不合理だという論旨は全く理由がない。其の他本論旨も要するに原審の採らなかった証拠等によって原審の事実認定を批難するに帰着し上告適法の理由とならないものである。
同第四点は大橋弁護人の上告趣意第二点、同第三点等に対する説明により其の理由のないこと明であろう。
同第五点について。
論旨では「審理不盡」といって居るけれども其の実質は結局原審の採用しなかった証拠其の他によって原審の事実の認定、証拠の取捨判断を攻撃するに過ぎないもので、上告適法の理由とならない。
同第六点について。
所論弁護人に対しては第一回公判期日について適法の呼出があり、其の後の公判期日及び証拠調期日は公判廷において適法に告知されているのであるから、公判廷に出頭しなかった同辯護人に改めて召喚状を発しなくても所論のように弁護権を制限した違法あるものとはいえない。論旨は理由がない。
よって上告を理由なしとし旧刑事訴訟法第四四六條に從って主文の如く判決する。
以上は裁判官全員一致の意見である。
(裁判長裁判官 塚崎直義 裁判官 長谷川太一郎 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上 登 裁判官 栗山 茂 裁判官 真野 毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 齋藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介 裁判官 穂積重遠)